大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)43号 判決

原告

バレンタイン・エフ・モロゾフ

右訴訟代理人弁護士

旦良弘

同弁理士

旦六郎治

旦範之

同弁護士

安藤真一

奥村孝

被告

モロゾフ酒造株式会社

右代表者代表取締役

桑原勇

右訴訟代理人弁護士

広瀬松夫

黒田喜蔵

黒田登喜彦

藤林益三

主文

昭和三四年審判第一四四号事件につき特許庁が昭和三七年三月五日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二、請求の原因

原告代理人は、請求の原因として次のように述べた。

一、被告は登録第五二五、六四四号商標の商標権者であり、同商標は、昭和二九年二月二七日登録出願、昭和三三年三月一八日登録にかかるもので、別紙記載のとおり「モロゾフ」の片仮名文字を左横書きし、その下方にこれと平行して「MOROZOFF」の欧米文字を横書きして成り、旧商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号)第一五条所定の第三九類「ウオツカその他本類に属する商品」を指定商品とするものである。

原告は、昭和三四年三月三一日右商標の登録が旧商標法(大正一〇年法律第九九号)第二条第一項第五号の規定に違反してなされたものであると主張し、被告を被請求人として右商標の登録無効審判の請求をしたところ(昭和三四年審判第一四四号)、特許庁は、昭和三七年三月五日、原告が単に「MOROZOFF」(モロゾフ)と略称されて周知著名である事実は認められないから、前記登録出願に当り原告の承諾を得なかつたといつて前記法条の規定に違反するものとはいえないとの理由で、請求人の申立は成り立たないとの審決をなし、その審決書謄本は同月一七日原告に送達された。

なお被告は当初「東邦酒造株式会社」と称したが、昭和三五年五月一九日商号を「モロゾフ酒造株式会社」と変更したものである。<以下省略>

理由

一、被告の有する本件登録第五二五、六四四号商標が昭和二九年二月二七日登録出願、昭和三三年三月一八日登録にかかるもので、別紙記載のとおり「モロゾフ」の片仮名文字を左横書きし、その下方にこれと平行して「MOROZOFF」の欧文字を横書きして成り、いわゆる旧分類における第三九類「ウオツカその他本類に属する商品」を指定商品とするものであることならびに右商標に関する本件登録無効審判請求事件の手続経過および審決の要旨に関する原告主張事実については当事者間に争いがない。

二、ところで、原告の氏名はバレンタイン・エフ・モロゾフ(Valentine. F. Morozoff)でモロゾフ(Morozoff)はその氏姓(family name)であるから、本件登録商標は原告の氏名の一部である氏姓の部分を有するものといわねばならない。被告は、本件登録商標は原告の氏姓を有するものでないと主張するけれども、原告が白系ロシア人(無国籍)であることは口頭弁論の全趣旨によつて明らかであるが、原告本人の供述によれば、原告は少年の頃から自己の氏名を前記のようにローマ字で表記してきていることが認められるから、「MOROZOFF」は原告の氏姓を全部大文字で表示したものと一致し、また「モロゾフ」はその発音を片仮名文字で表記したものに外ならず、文字商標がその表記のみならず発音ないし称呼の面においても保護の対象とせらるべき性質のものであることに鑑み、本件登録商標が原告の氏姓(氏名の一部)を有するものであることは否定できないところである。被告は、「モロゾフ」なる氏姓を有する者の存在することは全然知らず、「MOROZOFF」は被告会社代表者の案出した造語である旨主張するけれども、よしんばそのとおりであつたとしても、右商標が原告の氏姓またはその発音の表記と一致する以上、原告の氏姓を有するものと認めることの妨げとなるものではない。(なおそればかりでなく、<証拠―省略>を総合すれば、被告会社代表者桑原勇は、本件商標の登録出願前である昭和二九年一月頃、原告の東京銀座支店を訪れ、本件商標の出願について原告の承諾を求めたが当時同店に来ていた原告の妹から拒絶された事実を認めることができ、右認定に反する被告会社代表者桑原勇の供述は当裁判所の到底信用しがたいところである。)したがつてまた、原告が旧商標法第二二条の規定により本件商標の登録無効審判の請求をするについて利害関係を有するものであることは明らかである。

三、そこで、本件登録商標が旧商標法第二条第一項第五号に該当するものであるか否かについて検討する。

本件登録商標は、前記のように原告の氏姓(氏名の一部)を有するものであつて、原告の氏名(full name)を有するものではない。しかし、たとえ氏名の一部ないしは略称であつても、それが当該氏名を有する者を指称するものとして周知のものであるような場合には、他人のものである右氏名の一部ないしは略称を有する商標は、他人の氏名を有する商標に準じて前記法条の適用を受けるものと解するのが相当である。(このことは、直接本件には適用がないが、新商標法―昭和三四年法律第一二七号―第四条第一項第八号が他人の氏名・名称・著名な雅号・芸名・筆名と併せて「これらの著名な略称」を含む商標を規定した法意に鑑みても十分これを察知することができる。)本件についてこれをみるのに、<証拠―省略>を総合すると次の事実が認められる。

「原告は、大正一四年一四才にして両親および妹とともに来日し、爾来神戸市に居住している。昭和の初め頃から、父フエルドが洋菓子製造販売業を営むようになつたが、原告も長ずるに従い父を補助して右業務に従事することになつた。昭和六年父フエルドは訴外葛野友槌らと神戸モロゾフ製菓株式会社を組織し、原告も同会社の業務としての製菓に従事したが、昭和一一年右会社から手を引き、再び個人営業として洋菓子の製造販売に従事してきた。個人営業になつても、父フエドルは本来ロシアケーキの優秀な技術をもつていたし、原告はそれを受けついでやつていたので、右営業は繁栄していた。終戦後は原告が右営業の主宰者となり、遂次店舗も増し、昭和二八年には神戸市に本店の外支店二箇所・大阪市に支店・販売所三箇所・東京銀座に支店一箇所を有し、またいくつかの百貨店にも売場をもつようになつていた。原告父子が前記会社から手を引いた頃、店の名は原告の名をとつて「バレンタイン」とつけられたが、その後「コスモポリタン」(cosmopolitan)と改めた。しかし、看板、広告等には、大抵「VALENTINEF・MOROZOFF」と原告の氏名をも併記して用いていた。原告父子の製造販売する洋菓子特にチヨコレートは独特の風味をもつものとして終戦前より阪神地方その他に多くの顧客を有するに至つていたが、右営業関係以外の生活面においても、原告は阪神地方における多くの名士と交友関係をもち、また所属の教会のためその他一般の慈善事業のため力を尽すところがあり、昭和二八年には神戸・大阪国際委員会の会員となる等社会的にも活躍し、本件商標の登録出願のなされた昭和二九年二月二七日当時既に新聞・放送関係においても阪神地方における著名人の一人として取り扱われ、その談話が新聞紙に掲載されたり、原告自身ラジオの放送に出演したりしたこともあつた。そして、阪神地方は勿論わが国中に原告およびその家族以外にモロゾフ姓の者が存在しなかつたことや、(昭和三四年一二月一二日法務省入国管理局登録課長の回答書―甲第七号証ノ二―によれば、当時無国籍又は国籍をソ聯籍として外国人登録法に定める外国人登録を行なつている者の内MOROZOFF姓を称する者は、原告及びその父フエドルの二名のみであつたことが認められる。)原告の父フエドルは原告と違つてあまり日本語を話せず、社会的にも表立つた活躍をしなかつたこととも相俟つて、前記日時当時少なくとも阪神地方においては、原告と直接交友関係のあつた者以外にも、単に「モロゾフ」といえば原告のことを指称するものとして多数の人々に知られるようになつていた。」

昭和二九年二月二七日当時被告主張の日時に設立された訴外モロゾフ製菓株式会社および有限会社モロゾフ製菓東京販売所なる会社が存在していたことは原告の認めるところであるが(成立に争いのない甲第九三号証・乙第四〇号証の一によれば、前者の会社は前掲神戸モロゾフ製菓株式会社が他の会社と合併して成立したものであることが推認される。なお成立に争いのない乙第四三号証の一・二によれば、同会社は「Morozoff」・「モロゾフ」を二段に横書きして成る商標につき登録を受けているが、その登録出願および登録は本件商標の登録出願のなされた昭和二九年二月二七日以後であることが明らかである。)、前記事実認定の資料とした証拠と照し合せると、右被告主張事実の存在することは、前記事実認定の妨げとならないものと認められ、他に前記認定を左右するに足る適切な証拠はない。そして、被告会社代表者の供述(第一回)によれば、本件商標の登録出願および登録のなされた当時における被告の商号が東邦酒造株式会社であり、その後昭和三五年に現在の商号モロゾフ酒造株式会社に変更したものであることは、成立に争いのない甲第一号証および被告会社代表者の供述(第一回)によつて明らかである。

四、次に、被告は本件登録商標をその指定商品に使用しても商品の出所につき混認混同を生ずるおそれがないから旧商標法第二条第一項第五号の適用はない旨主張するので、この点について考察するに、右条項は「他人ノ肖像、氏名名称又ハ商号ヲ有スル」商標はその登録を許すべからざるものとするとともに、「其ノ他人ノ承諾ヲ得タルモノ」については不登録事由から外すこととしていること(もし被告主張のように商品の誤認混同を防止する趣旨であるとすれば、単に当該他人の承諾があるというだけで、不登録事由から外すべき筋合のものでないこと明らかである)に、氏名・名称・商号を肖像と同列に規定していることをも参酌すれば、前記第五号の規定は、他人の肖像・氏名・名称・商号につき存立する当該他人の個人的権益を保護することを主眼として設けられたものであり、たとえ商品につき誤認混同を生ずるおそれがない場合であつても、そのことの故に同号の適用を免れることはできないものと解するのが相当である(大審院昭和一六年(オ)第一一七六号昭和一七年六月一九日判決参照)。したがつて、被告の前記主張は、商品の出所の誤認混同に関する被告主張の事実関係について審究するまでもなく、これを採用し得ないものというべきである。

五、以上説示のとおりで、本件登録商標は旧商標法第二条第一項第五号に該当するものであり、その登録の出願につき原告の承諾を得た事実のないことは口頭弁論の全趣旨によつて明らかであるから、同商標の登録はこれを無効とすべきものである。これと反対の趣旨に出て、原告の無効審判の請求を排斥した本件審決は、右の点に関する判断を誤つたもので、違法なものという外はない。それゆえ、同審決の取消を求める原告の本訴請求は、正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟第七条民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官原増司 裁判官山下朝一 多田貞治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例